テート美術館の至宝 ラファエル前派展 を振り返ると・・。

ベアタ・ベアトリクス(Beata Beatrix)

「ラファエル前派展 英国ヴィクトリア朝時代の夢」は夢となった・・。

六本木ヒルズ森タワーの、52F展望台と同じフロアにあります、ギャラリー森アーツセンターにて『テート美術館の至宝「ラファエル前派展 英国ヴィクトリア朝時代の夢」』が 開催されました。この展示は2012年の9月から13年1月まで、ロンドンのテート美術館で開催され、米国ワシントン・ナショナル・ギャラリー、ロシアのプーシキン美術館をめぐり、2014年1月、日本向けに再構成され開催に至ったという展覧会。ロケーションといい、ヒルズ内のコラボレストランのメニューといい、とっても行きたかったのですが残念なことに、行かれなかった・・。ので!行かれなかった悔しさを力に、「テイト」を「ラファエル前派」を「英国ヴィクトリア朝」を!徹底的に大調査!とはいっても「百聞は一見にしかず・・」の結果なんですけどね・・。

先ずは「ラファエロ前派」の「ラファエロ・サンティ」から・・。

1848年にロンドンで、ロイヤル・アカデミー付属美術学校の学生であったダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ、ウィリアム・ホルマン・ハント、ジョン・エヴァレット・ミレイの3人の画家によって「ラファエル前派兄弟団」が結成されたのが始まり。ラファエロ(1483-1520)以前の初期ルネサンスやフランドル芸術を規範としたことに「ラファエロ前派」が由来しています。

この、分岐点にもされてしまった、「ラファエロ・サンティ」は、盛期ルネサンスを代表するイタリアの画家であり、建築家。レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロとともに、盛期ルネサンスの三大巨匠といわれています。

ラファエロは37歳という若さで死去したとは考えられないほどに多数の作品を制作したそうです。その多くがヴァチカン市国のヴァチカン宮殿に残されていて、とくに「ラファエロの間」と総称される4部屋のフレスコ画が、ラファエロの最盛期作品のコレクションとなっているそうです。そのうちの、もっとも有名な作品の一つの『アテナイの学堂』は、このヴァチカン宮殿「ラファエロの間」のうち「署名の間」と呼ばれる部屋のフレスコ壁画にあたります。ラファエロよりも、長命であった、ミケランジェロの作品のほうが西洋絵画界に大きな影響を与えたとされていますが、この3人の中で一番若かったということからも、2人から多くの芸術を学び、大きく成長をしていったのです。

この、ルネサンス古典様式最高傑作のひとつといわれている『アテナイの学堂』の中央には、かの有名なギリシア哲学者、左がプラトン、右にアリストテレスが描かれています。このモデルはレオナルド・ダ・ヴィンチ(プラトン)とミケランジェロ(アリストテレス)であるとされてきたそうです。過去と現在が融合された表現だそうです。現在、このミケランジェロは「ヘラクレイトス」だとされていて、ラファエロがミケランジェロに敬意を示し描き加えたとされています。しかしながら、このミケランジェロのタッチが明らかに他の描写とは異なるため、当時ダ・ヴィンチと対立状態にあったミケランジェロ自身が書き加えたとも考えられているとか・・。芸術家の確執って一般人のそれよりも何か根深いものがあるのでしょうか・・。そしてそれを表現すること自体がまた新たな芸術へとつながっていくなんて・・・。

そして、この作品にはラファエロ本人も描かれています。

手前の一番右側に描かれている人物のうち、右から二番目の黒い帽子を被った人物。こちらをじっとみつめているのがラファエロ本人です。

さらに、恋人まで描かれているんだとか・・。これは反対の左側の白い服を着た女性がそのようです。彼女はパン屋の娘で、ラ・フォルナリーナという女性だそうです。

きっと、描きながらこの作品が後世に残るものと理解していたのでしょう・・。そりゃぁ、そうですよね。バチカン宮殿ですから!!

その当時でさえ、話題のお仕事だったでしょう!だからこそ、自分が尊敬する二人とともに、自分自身とその恋人までをも描いているんでしょう。・・・と、安易に考えていたら・・・。こちらの女性、実は「イエス・キリスト」であるという説も存在するらしいんです!

この女性から、向かって左側に均等間隔で子供と幼児が描かれているんです。

これだけの群集が描かれた中で、幼い幼児や子供はこの2人だけ・・。そしてレオナルド・ダ・ヴィンチがモデルだとされるプラトンの指が天井をさしていますよね。これはこの絵の中に「イエス・キリストがいる!」というサインのようなものなんだそうです。

少し前「ダヴィンチコード」というものが出回りました・・。 ダン・ブラウンの小説が大ヒットし、そこから映画なども作られていったのはまだ記憶に新しいかとおもいます。その、ダヴィンチコードに関連して「ラファエロコード」というものも存在するらしいのです。何だか「謎」っぽくなってきました!

この時代的な手法なのか、ダ・ヴィンチという人がこのような「謎好き」であったのかはわかりませんが、「ある人物に別の人物を兼任させて描く」というような手法(?)が確かに存在したようです。

ダ・ヴィンチをこよなく尊敬していたラファエロは、ギリシャ哲学の「真」「善」「美」とカトリック神学との調和を表す絵という教皇からの要望に応えながらも、この「ある人物に別の人物を兼任させて描く」手法を用いて「最後の晩餐」ともつなげているとも・・。「つながっている」からこそこの最後の晩餐に伝わるダ・ヴィンチコードもラファエルはつないでいるという考えかたなのでしょう。深いですね~~。それぞれのコードについて考察していくと「ラファエル前派」までたどり着くまで時間がかかりすぎてしまうので、今回はこのあたりまでとしておきます。

話しはガラリと変わるのですが・・。10代の頃のラファエロの自画像を見て思ったのですが、けっこうイケメン♪あたまもキレる方で、性格も芸術家にしては・・ってありましたから、まぁふつうなんでしょうけれど、女性にはモテまくっていたようです・・。「モテまくる芸術家♪」憧れますね~~。若くして数々の大きな作品に携わることができた彼は、若くして亡くなっているんです・・。37歳!!なんておしいことを!!!

と、下世話な方向にいってしまったところを再度、軌道修正いたします・・。

彼の「聖母子シリーズ」は印象的です。「聖母の画家」とも言われるほど、なんとも繊細で美しい「母と子」の作品をこれまた数多く残しています。『小椅子の聖母』『聖母子』『大公の聖母』…。特に「大公の聖母」という作品は、レオナルド・ダヴィンチの影響をうけた作品で、トスカーナ大公であったハプスブルク家のフェルディナント3世がつくらせたものです。大公は大変気に入った為か、公私共の場面で手放すことはなかったといわれ、そのために「大公の聖母」という名がつけられたといわれています。ラファエロは先ほども書きましたが、芸術家にしては性格もよかったほうなんです・・。彼はダ・ヴィンチやミケランジェロの才能からも吸収し、何かを得ようと努力を続け、その結果数々の作品を生み出したのです。それまでの「祭壇画」「宗教画」とは異なった感情豊かな「人物画」に近い「聖母子」画がうまれたのでしょう。