ダンテ・ガブリエル・ロセッティ

ベアタ・ベアトリクス(Beata Beatrix)

弟は、ウィリアム・マイケル・ロセッティ♪

さて、次はラファエロ前派のアーティストの方々のご紹介にまいりましょう!まずは「ダンテ・ガブリエル・ロセッティ(Dante Gabriel Rossetti)」から・・・。

19世紀、イギリスの画家であり、詩人でもありました。姉のマリア、弟のウィリアムも著述家で、妹のクリスティーナ・ロセッティは詩人。

クリスティーナはダンテ・ガブリエル・ロセッティの絵画のモデルに何度か起用されています。

1828年5月12日、ロンドンのシャーロット・ストリートでイタリア系移民の子として生まれたダンテ・ガブリエル・ロセッティの父ガブリエーレは、イタリア系移民の詩人でしたが、キングス・カレッジで「イタリア語教授」を勤めていました。このよな環境で育ったからでしょうか、ロセッティは絵画や文学を愛し、シェイクスピアやゲーテを読みながら5歳で戯曲『奴隷』を書き、その頃から才能をのぞかせていたようです。

現在、日本ではやはり絵画のほうが有名になっていますが、明治時代には島崎藤村、蒲原有明らによって、ロセッティの詩が紹介されたそうです。

天は二物を与えたんですね・・・。

彼は最初お父さんの勤め先でもあるキングス・カレッジに1837年秋、入学しました。そしてノリッジ派の水彩画家ジョン・セル・コットマンに師事していましたが、そのときは特に芽はでなかったというか、特別熱意があった様子もなく、ジョン・セル・コットマンもそれほど目をかけるようなこともなかったそうです。1841年秋にはキングス・カレッジを退学してしまいますが、1846年、ロンドンのロイヤル・アカデミー付属美術学校に入学してから開花していくことになるのです。1848年、同じアカデミーの学生であったウィリアム・ホルマン・ハント、ジョン・エヴァレット・ミレーらとともに「ラファエル前派」を結成し、歴史に残る作品を数々生みだしていくことになったのです。

「ラファエロ以前」という言葉には、19世紀当時のアカデミーにおける古典偏重の美術教育に異を唱える意味があったそうです。とどのつまり、反抗的な若者の集まり?だったのでしょうか・・。しかしながら、優秀なアートはそういった環境から生み出されることも多いものです。

ラファエル前派に思想的な面で多くの影響を与えたのは、同時代の思想家であり美術批評家であったジョン・ラスキンであるといわれています。「自然をありのままに再現すべきだ」というラスキンの考え方の根幹には、神の創造物である自然に完全さを見出すという信仰からと言われています。そういったことからも、ラファエロ前派の特徴には「徹底した細密描写」が挙げられるのですが、ロセッティはそれほど得意ではなく、全体として装飾的・耽美的な画面構成の作品が多いとされています。ロセッティの芸術を語る上で避けて通れないエリザベス・シダルとジェーン・バーデンという2人の女性の存在も影響しているのかもしれませんね・・。

前項で触れましたが、この二人はラファエロ前派のモデルさん方です。そして、エリザベス・シダルは長い婚約期間の後、ロセッティの妻となった女性。

ジェーン・バーデンは、19世紀イギリスの装飾芸術家・デザイナーとして著名なウィリアム・モリス(1834年-1896年)の妻となった女性ですが、この3人の関係が複雑で、後のすばらしい作品と、悲劇につながってしまうのです。

エリザベス・シダルは「ベアタ・ベアトリクス」や「オフィーリア」のモデルとなっています。そして、ジェーン・バーデンは「プロセルピナ」「ベアトリージェ」などのモデルの女性です。

最初ロセッティはエリザベス・シダルをモデルとして作品を描いていました。そこで婚約、1856年11月に結婚する計画を発表するまでにいたるのですが、後にロセッティが撤回をしているのです。そして、王妃グィネヴィアの壁画を制作している時、エリザベス・シダルをモデルとして進めるも、製作は難航し、そんな中ジェーン・バーデンに出会うこととなるのです。その後、ロセッティの作品にはジェーン・バーデンが度々モデルとして起用されることになります。エリザベス・シダルと婚約した状態のまま、とどのつまり三角関係に陥っていくわけですね・・。

結果的には、ジェーンはロセッティの弟子にあたるウィリアム・モリスと結婚し、ロセッティは婚約者のエリザベスと予定どおり結婚したのですが、ロセッティはジェーンへの思いを断ち切ることはできなかったといわれています。そんな冷え切った夫婦の状態や死産にみまわれたエリザベスは、阿片チンキの大量服用から、自殺同然の死を遂げることとなるのです。エリザベスの死を悼んだロセッティによって描かれたのが、『ベアタ・ベタトリクス』なのです・・。こういった背景を考えながらこの作品を鑑賞すると、また違った観方ができるかもしれませんね・・。

ロセッティはその後も絵画制作を続け、世間的な成功を得てはいきますが、人妻への思いと自分の妻への罪悪感にさいなまれて少しずつ心身を病むようになっていきます。自殺を図ったり、晩年は酒と薬に溺れ、不眠症のため真夜中にロウソクの灯りで絵を描いていたり・・。そして1882年、失意のうちにブライト病により54歳の生涯を終えることになりました。

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