ジョン・ラスキン

ベアタ・ベアトリクス(Beata Beatrix)

ジョン・ラスキンは過保護な芸術家?!

ラファエル前派を語る上で欠かせない存在とお言える「ジョン・ラスキン」についても触れておきましょう。

ジョン・ラスキン(1819年2月8日 - 1900年1月20日)は19世紀イギリス・ヴィクトリア時代を代表する美術評論家であり、芸術家のパトロンでありました。ラファエル前派の「反抗児(?)」達には強力な味方であり、先ほど触れた中世に憧れを抱いていたウィリアム・モリスにとってもまさに「先生!」だったのでしょう。若干24歳で名著『近代画家論』を発表、『建築の七燈』『ヴェニスの石』などの著作で、中世のゴシック美術を賛美したのです。

ジョン・ラスキンは富裕な葡萄酒商人の一人っ子としてロンドンに生まれました。母親が非常に熱心な福音派の信者であったことから、学校には行かずに両親と家庭教師によって幼いころから聖書の暗記を命じられるなど、宗教色の強い教育を受けたそうです。そんなことからも友達と遊ぶような機会も少なく、家族でのヨーロッパ旅行での動植物や風景を観察、スケッチが楽しみとなっていったのです。そんな幼少期にも関わらず、オックスフォード大学のクライストチャーチ校に高額授業料納入特別学生として進学してしまったため、学校に馴染めないことから病気がちであったようです。その頃もまだまだ過保護な家族との関係が続いていたようですが、そんな中で在学中に詩の賞を受賞、代表作の『近代画家論』のために、家族で何度もヨーロッパへ取材旅行にも出かけたといわれています。過保護の芸術家・・それも一流の・・。きっと一流の過保護だったのかもしれませんね・・。

この過保護な芸術家は1848年にエフィー・グレイ(Effie Gray, 1828年 - 1897年)と結婚し、一人立ちするのですが・・。

そうです、この奥様が例のジョン・エヴァレット・ミレイと三角関係になっていく奥様なのですね。そののち、ジョン・ラスキンは運命的な出会いを果たすことになるのです。1858年から、ある裕福なアイルランド人家庭の子供たちに美術を教えていたとき、9歳のローズという少女に出会うのです。それからローズが18歳まで家庭教師を続けることになるのですが、彼女が16歳のときから何度も結婚を申し込んだそうです。30過ぎたおじさんから求婚されるわけですね・・。宗教が違うことを理由に断られていたそうですが、本当の理由は・・。更なる悲劇はローズが27歳で急死してしまったことです。ラスキンは精神的に大きなダメージをうけることになりました。度々の発作や、亡くなったローズと会話するためと、「スピリチュアル」な世界へはまっていくのです。

一流の芸術家ではありましたが、幸せな一生であったかたというとどうなのかと考えてしまいます。

主な著作には

  • 建築の七灯 (The seven lamps of architecture )
  • ヴェネツィアの石 (The stones of Venice )
  • 胡麻と百合 (Sesame and lilies )
  • 近代画家論 (Modern painters )
  • この最後の者に (Unto This Last )
  • 芸術経済論 (The political economy of art )

などがあげられます。

日本でラスキンの影響を受けた人物の中に、御木本幸吉の一人息子隆三がいます。あの、真珠王の息子です。彼はオックスフォード大学留学でラスキンの研究に情熱を注ぎ、銀座に「ラスキン文庫」を開設しました。

開館時間:午前11時-午後5時(休館日 日・月曜日・祝日。8月、12月~1月の蔵書整理期間中及び講演会当日は休館)

場所:〒104-0045 東京都中央区築地2-15-15 セントラル東銀座ビル105

一度はいきたい、テート美術館♪

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